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PROLOGUE
はじめに
誰を応援するかは、それぞれの自由です。私は、その自由を否定するつもりはありません。
ライブ配信には、画面越しでありながら、人と人とのつながりがあります。配信者の夢を支えたい、頑張る姿を応援したい、成功を一緒に喜びたい。そうした思いから、時間やお金を費やすリスナーも少なくありません。私も、その一人でした。
しかし、私自身が経験した出来事を振り返ると、現在も多くの方が事情を知らないまま応援を続けている状況を、何も語らずに見過ごすことはできないと考えるようになりました。そのため、私が経験した経緯と、そこから抱いた受け止めを記録として公開します。
この作品の位置づけ
本作品は、誰かに応援をやめるよう求めたり、特定の結論を押しつけたりするものではありません。本文では、私が経験したこと、公開・保存された資料、そして私自身の受け止めを可能な限り分けて記しています。資料を含め、どのように判断するかは読者の皆様に委ねます。
CHAPTER 01
信じて応援していた時間
信頼は、一度の言葉ではなく、小さなやり取りの積み重ねによって形づくられていく。
私は、プライズや手紙、DMなどで受け取った言葉や対応を通じて、Pocochaで活動するライバー「海都(みと)」さんが、私に特別な好意を寄せているのではないかと受け止めるようになりました。
それは、私が一方的に何の根拠もなく思い込んだ、という単純な認識ではありませんでした。少なくとも当時の私は、実際に交わされた言葉や、受け取ったもの、継続するやり取りを一つひとつ受け止めた結果として、自分は特別な存在として扱われているのではないかと考えていました。
その認識のもとで、私は彼女の活動を応援し続けました。費やした金額は、合計で500万円を超えました。
大きな金額だけを見れば、なぜそこまでしたのかと疑問に思う方もいるでしょう。しかし、応援していた当時の私にとって、それは単なる課金ではありませんでした。信じた相手の夢を支える行為であり、自分に向けられていると感じた気持ちに応えようとする行為でもありました。
私は、受け取った言葉と対応を信じ、その信頼の延長線上で応援を続けていました。
ところが、その後の経緯によって、私が抱いていた認識は大きく変わることになります。
CHAPTER 02
突然変わった距離
近づいてきた理由を知ることより、離れていった理由を知ることの方が難しい。
ある日から突然、海都(みと)さんは私との距離を置くようになりました。DMを送っても返信が来ない状態が続き、これまでの関係に何が起きたのかを確認することもできなくなりました。
私には、変化の理由が分かりませんでした。長く応援し、言葉を交わしてきた関係であると受け止めていたからこそ、説明も話し合いもないまま距離だけが広がっていく状況を、容易には受け入れられませんでした。
そして、しばらく時間が経った後、私はさらに大きく認識を変えることになる記録を目にしました。
当時、彼女の配信枠に通っていた一人のリスナーが、自身の配信において、私の人格を貶める内容の発言をしているアーカイブを確認し、保存しました。私はその内容を、私に対する誹謗中傷にあたるものだと受け止めています。
また、別のアーカイブでは、そのリスナーが、海都(みと)さんから「私との絶縁を手伝ってほしい」と依頼された旨を語っていました。これは、そのリスナー自身による発言として記録されていた内容です。私は依頼の事実を第三者として直接確認できる立場にはありませんが、その発言を聞いたことは、私にとって極めて重い出来事でした。
CHAPTER 03
残されていた音声
文章では伝わらない空気が、音声には残ることがある。
以下の音声は、当時の状況を理解していただくための資料として掲載するものです。公開の目的は、聞き手に特定の結論を強いることではありません。音声中の発言をどのように受け止めるかは、読者の皆様に委ねます。
ARCHIVE AUDIO
当時保存した音声
音声を再生すると、データ通信が発生します。周囲の環境と音量にご注意ください。
私がこの記録を残したのは、後から出来事を振り返ったときに、「何が語られていたのか」を曖昧な記憶だけにしないためでした。
なお、音声に含まれる個々の発言について、ここで意図や背景まで断定することはしません。私が記せるのは、その音声を確認したこと、そして、その内容によって大きな衝撃を受けたということです。
CHAPTER 04
話し合いを求めた後
私は、問題を解決するために、海都(みと)さんへ話し合いを求めました。
私が望んでいたのは、一方的な非難ではなく、何が起きていたのかを当事者同士で確認することでした。これまでの関係をどのように受け止めていたのか、なぜ突然距離を置くことになったのか、第三者の配信で語られていた内容をどのように考えるのか。少なくとも、言葉を交わす機会が必要だと考えていました。
しかし、その後は一切の返答がなく、それ以降、連絡を取ることができていません。
この一連の出来事を通じて、私は、恋愛感情や期待を抱かせるようなコミュニケーションが、結果として多額の応援や課金につながる仕組みになっているのではないかと感じるようになりました。
これは、私自身が経験した出来事をもとにした受け止めです。配信者の意図を外部から断定するものではありません。それでも、同じような期待を抱き、多額の支出を重ねた末に、私と同じような苦しみを経験する人が増えてほしくない。その思いから、この問題を提起しています。
SUPPLEMENT
公開されなかった8作品
配信枠での応援とは別に、私たちの間には音楽制作を通じた取引もありました。
私が海都(みと)さんを応援していた期間には、私が制作したオリジナル楽曲に彼女の歌声を収録し、作品として公開するコラボレーションも行っていました。これはPococha上の応援とは切り離した個別の取引であり、完成した楽曲を公開することを前提として、1曲の歌唱につき1万円の報酬を支払う条件でした。
報酬は、本人からの希望により、すべてAmazonギフト券で支払いました。制作された作品は8作品に達し、私はそれらを一枚のアルバム「mito me tone (feat.海都)」としてまとめ、公開する準備を進めていました。
ところが、アルバムのリリースを告知した後、公開に反対する意図を示す返信が寄せられました。続いて、別の匿名アカウントからも、本人の意思確認を求める趣旨の投稿がありました。以下は、その当時に保存した画面です。
私は、これらの反応を受け、アルバムの公開を取り下げる判断をしました。海都(みと)さん本人からは、コラボ楽曲の公開を許可するとも拒否するとも、私が確認できる形で明確な回答はありませんでした。そのため、完成した8作品は公開できないまま、事実上お蔵入りとなりました。
なお、掲載した投稿だけから、投稿者たちが誰かの依頼を受けて行動したのか、あるいは本人の意思を正確に代弁していたのかを判断することはできません。ここで記録するのは、公開告知後に実際にこのような反応があり、それを受けて私が公開を断念したという経緯です。
私は、公開を前提として支払った歌唱報酬について、楽曲を公開できないのであれば全額を返金してほしいと求めました。しかし、この件についても返答はありませんでした。その後、行政書士を通じて所属事務所宛に内容証明を送付しましたが、今日に至るまで、私が確認できる回答は得られていません。
私にとってこの出来事は、配信枠の中で積み重なった信頼だけでなく、配信外で成立していたはずの仕事上の約束まで、話し合いのないまま宙に浮いたという経験でした。応援者と配信者という関係が、創作者と歌唱者という別の関係にまで影響を及ぼした――これは、本編とは別に残しておく必要がある、もう一つの記録です。
資料の読み方
掲載画像は、当時の画面を保存した資料です。画像に写る投稿の真意、人物間の連絡関係、投稿者が誰の意思を代表していたかについて、本作品は断定しません。本文では、確認できる画面内容と、筆者が実際に取った対応を分けて記載しています。
CHAPTER 05
約一年後に現れた告知
過去の意味は、後から現れた一つの事実によって塗り替えられることがある。
それから約一年が経過した頃、あるリスナーのプロフィール上に、入籍を知らせる告知が掲載されました。
告知文には、かねてより交際していた相手と2026年7月19日に入籍したこと、相手はライブ配信やインフルエンサーとして活動していること、本人の意向を尊重して名前の公表を控えることなどが記されていました。
告知を掲載したリスナーが、海都(みと)さんのファミリーに所属していることや、文面の内容から、私はこの告知が彼女との入籍を示している可能性を考えました。ただし、告知文には相手の実名が記されていないため、私はその点を外部から事実として断定することはできません。
もし、この告知が海都(みと)さんとの入籍を知らせるものであり、告知にあるとおり以前から交際関係にあったのであれば、私が特別な好意を寄せられていると受け止め、500万円を超える応援を続けていた期間の意味は大きく変わります。
私にとっては、「自分は最初から誤った認識のもとで応援を続けていたのではないか」という疑念を抱かざるを得ない出来事でした。
一方で、この告知が海都(みと)さんとは無関係である可能性も、公開された文面だけでは排除できません。だからこそ私は、確認できていない事柄を断定するのではなく、公開された資料と、そこから私が抱いた疑問を分けて記しておきたいと思います。
CHAPTER 06
法と倫理の間で
違法ではないことと、誰も傷つけないことは、同じではない。
現在の日本では、このような配信活動が直ちに違法と判断されるケースは多くありません。しかし、法的な問題がないことと、倫理的な問題がないことは、必ずしも同じではないと私は考えています。
ライブ配信は、単なる映像配信ではありません。そこには人の言葉があり、感情があり、信頼があります。配信を心の支えとする人もいれば、配信者の夢を自分のことのように応援し、生活の一部を費やす人もいます。ときには、その関係に人生さえ託されます。
だからこそ、その関係が、人の善意や純粋な思いにつけ込むようなものであってはならないと私は考えています。
もちろん、応援する側にも、自分の生活を守り、冷静に判断する責任があります。配信者の言葉をどのように受け止めるか、どこまで支出するかを最終的に決めるのはリスナー自身です。
しかし同時に、配信者にも、自分の言葉や態度が相手の感情と行動にどのような影響を与えるのかを考える責任があるはずです。特に、恋愛感情や「自分だけは特別だ」という期待が、高額なギフトや継続的な課金と結びつく環境では、影響力を持つ側に、より慎重な姿勢が求められるのではないでしょうか。
人は、一度手にした成功や豊かさを、自ら手放すことは容易ではありません。もし現在の活動によって利益を得続けられるのであれば、その在り方そのものを疑う機会は、これからも訪れないのかもしれません。
その応援は、本当に誰かを幸せにしているのか。
その関係は、互いを尊重し合う健全なものなのか。
目の前にある華やかさの向こう側で、失われているものはないのか。
人は、ときに利益よりも大切なものを失ってしまいます。それは信頼であり、誠実さであり、そして人としての尊厳です。
そのことに気づいたときには、どれほどの富を積み重ねても、取り戻せないものがあります。
EPILOGUE
最後に
私は、配信者にも、リスナーにも、人として歩むべき道をもう一度見つめ直す機会が訪れることを、心から願っています。
この文章は、誰かに応援をやめるよう求めるものではありません。誰を応援するかは、それぞれの自由です。
ただ、私が経験した出来事と、当時残された資料を知っていただいたうえで、今後も応援を続けるのか、その関係をどのように受け止めるのかを、それぞれの価値観で判断していただければ幸いです。
応援とは、信頼の上に成り立つもの。
その信頼を守る責任は、画面の両側にあると、私は考えています。